2014年8月4日

8月4日 【コラム】 ソーシャルメディア の咎

2014-08-04

ストレートに書いてしまおう、twitter #徳勝もなみ をご存知だろうか?

30年以上前、在学時代に共同通信・時事通信への就職を希望していた私目。
(卓越した英語力もなく、けんもほろろで、次の希望先、商社に入るのですが・・・)

「犯罪報道の犯罪」と云う単行本を精読し、かなりの影響をうけた。もちろん、プラスの。

その時代は、ネットはようやく企業がパソコン通信として利用し始めた黎明期で、個人ユースなど想像もしなかった。

上記、”報道” の正体である、媒体・メディア・導線 は、圧倒的に四大メディアしかなく。

すなわち、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌 である。特に、テレビの力は絶大で、信用の意味合いから、新聞の地位は揺るがなかった。

よって、発信側も今以上に、相応の品格や責任をもって行動し、また、責務を問われたものだった。

ある意味、過保護な時代だったのかもしれない。

それでも、犯罪報道により、犯人の親族、事件の地域、に対し、ネガティブな影響は理不尽に発生していた。

さて、現在。

佐世保の女性高生による女子高生殺害事件である。

被害者の実名、周辺、は、四大メディアを賑わし続けている。

が、加害者の情報は、実名を含め、法律・倫理の保護下だ。

しかし、ネットや容赦がない。ネットは制限・抑制が効かない。

そうです。三面記事的に騒ぐことが本位ではないですが、上述は、その加害者の実名と、画像を含めた周辺情報がにぎわう、twitter上のハッシュです。

もちろん、事件発生当初、同様の情報流出に対し、短時間で削除、デリートされました。が、一定期間をおき、8月1日より、twitter Youtube などソーシャルなメディアの暴走は、やはり、歯止めが効きません。

我々は、人間として、社会人として、ビジネスマンとして、この凶暴な利器である、ネット 特に、ソーシャルメィア の長短所を、改めて強く、肝に銘じなければなりません。

一連のソーシャルな場での意見は、意外なほどに、冷静で、ただの愉快犯的なものではありません。

これは、既に、個人の中にも媒体としての自覚と成熟がみてとれ、過去のメディアは、終焉はしませんが、黄金時代は確実に去り、その存在意義、価値、を再々度 検証、自覚せざるを得ないことを強く印象づけてくれます。

最後に私見です。

個人情報保護や、少年法など、ザル法だと松川は考えています。

今回の加害者(父親含む)は、司法の判断以前に、社会罰をうけて当り前で、実名が流出されることに、何ら反論はありません。

けだし、その上で、本人達に再起の想いがあるのであれば、それは、妨害されるべきではなく。

その想いの前に、保護・保全から入ることに、違和感と反感を感じます。

とことん、エラい目に合えばいい。のたれ死ぬか、絶望から再起するか、は、その後の本人たち次第であると考えています。

被害者には、ただ感情論ではなく、深い哀悼の意を。合掌。